生きる 忘れたころにやってくる 予知は将来への備えだ。 確かに未来は正確に予測などできない。 その未来をある想定で描いてそれに備えることは無駄であろうか? 例えば、 山の中で脳卒中を発症し半身不随、言語不自由になったとき、想定して備えることはもっと簡単な備え、例えば遠足に水筒を携帯することと本質的に同じことではないだろうか。 2018.04.04 生きる脳卒中